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石川和則が語るDACグループの歴史(若大将社長時代 1977年~1987年)

三代目社長に就任し、社員16名から再スタート(1977年)

今から考えるとよく引き受けたなというのが本音です。借財は当時の年商を軽く超える金額でした。ただただ若く、自信と言いますか「俺には必ず出来る」という信念のようなものがありました。「赤字や借金も財産である」言い切っていたのですから、今考えると全く無茶な話であります。それでも社員数は100名を越えており、なんとか再建できると思っていたのではないでしょうか。現実には退職が相次ぎ、残った社員はわずか16名。見事に思惑が外れました。その時には随分と人間不信に陥りましたが、「辞めた社員よりも残った社員を大切にしよう」そう思えたとき道が開けました。
1977年10月1日、正式にデイリースポーツ案内広告社の代表取締役社長に就任。困っている私を見て、元会社の先輩であり、当時すでに独立されていた泰洋インターナショナルの小川社長が「うちの事務所を使いなよ」と手をさしのべてくださいました。佐山ビルからヤマトビルの一角へ移転し立て直しを始めました。


若大将熱血経営時代(1977年~1987年)

再建の始まった最初の10年間は、加山雄三ばりに「若大将熱血経営」を基本として社員指導を行って参りました。俺がやる!俺に付いてこい!俺は兄貴だ!俺に任せろ!まったく三文小説を地でいくような会社経営でありましたが、小さな案内広告代理店時代はうまくいきました。
しかし1984年デイリースポーツ案内広告社雑誌部(後のピーアール・デイリー)と観光企画部(後のデイリー・インフォメーション)を設置し、新しい広告分野への挑戦を始めるなど、会社規模が大きくなるにつれ、これまでのような社員と社長の一対一の師弟関係を前提とした熱血社長であることに限界が見えてきました。そこでこの頃より私自身多くの経営セミナーに参加したり、本を真剣に読み始めました。髭も生やしましたし、案内広告の泥臭いイメージを払拭するためDACグループと名乗り始めたのもこの頃です。
とは言えすぐに「若大将」から脱却できたわけではありませんでした。組織を変え、新しい時代に相応しいリーダーの役割を果たしていくには、まず自分を変えていかなければならないのです。

1987年8月デイリースポーツ案内広告社の雑誌部を独立させて、株式会社ピーアール・デイリーを設立させました。私も経営者として次のステップへと踏み出す必要があると感じておりました。


1978年の石川和則


1990年までの本社ビル(ヤマトビル)


1984年髭を生やし始めた頃の石川和則


DAC野球チーム「デイリーアトムス」。監督・投手・4番は石川

DACグループの歴史


1977年10月1日 石川和則、代表取締役社長に就任。本社をヤマトビル6Fに移転
1978年 業務拡張により、同ビル7Fに移転
1984年3月 デイリースポーツ案内広告社 雑誌部を神田の柴田ビルに設置
初めて新卒採用を行う
1986年3月 デイリースポーツ案内広告社 観光企画部を神田の中村ビルに移転
1987年8月 雑誌部を株式会社ピーアール・デイリーとして法人化

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